2016年11月11日金曜日

静かにともす

私は、風景画を描くことがほとんどないのですが、風景に心奪われることは多く、「きれいだなあ」という感動と、一緒にそれを見ている人への感情を含め、記憶されたりします。そのままその風景を作品にしなかったとしても、何らかの形で作品になることもあるし、いつまでも創作の源として静かに灯りをともすこともあります。
作風として、造形や色彩を重視したところもありますが、案外、感傷的な気持ちでつらつらと記憶を辿るように制作していることも多いのが、まあ、自分らしいといえばらしいのでしょうか。さて、美連展の作品を終え、気持ちも新たに次の作品に向かいたいと思います。

2016年11月5日土曜日

幸せな秋の教室

子どもの図画工作教室。紅葉の時期ということもあり、落ち葉を観察して細密画を描こう、ということで外に出ました。教室は肌寒くても、外は暖かい日差しで、じっと観察をしていると背中が熱いくらいです。時々、芝の上で寝転んだり、蜂を見つけて大騒ぎしたり、落ち着きがない子どもたちを見ながら、私も芝に座り、面白い形の落ち葉を探します。ああ、なんて気持ちのいい午前中。案外、幸せとはこういう時間なのかもしれないなあ、と思いつつ「ほら、葉っぱの絵は進んでる?」と子どもたちに声をかけます。もちろん、なかなか絵のほうは進まないわけですが・・・。

2016年10月25日火曜日

文化祭シーズン

今年は、文化祭や発表会の準備に追われていることが多いわけですが、明日も、また一つ文化祭の本番を迎えます。いろいろ初めての試みも多く、ひとつ確認するたびに「えっ!それどうなっているの?」と、常に生徒と青ざめながら準備を進めてきました。
さて、これが終わったら、週末には次の文化祭。その週明けには、教室展の搬入展示に向かいます。そして、自分の制作はまったく進まないわけですが・・・、それも含めて「芸術の秋」でしょう!

2016年10月13日木曜日

サカマチ

何年ぶりだったのでしょう。10年以上は経っていますが、今年は「坂のまちアートinやつお」に出品しました。友人の切り絵作家さんに声をかけていただき、1人じゃないのであれば・・・参加してみようかな、と。いろんな思いもあって遠ざかっていたアートイベントですが、こうしてあっけなく戻ってみれば、懐かしい顔ぶれに懐かしい町並み。どうしたって「郷愁のサカマチ」になるわけです。
「今回をもって参加はやめる」という作家さんの気持ちも、また別の「しぶとく出し続ける」という作家さんの気持ちも、どちらも理解できます。若いときに参加していたときは、もっとピリピリした気持ちで臨んでいて求めるものも大きかったわけですが、10数年経って、今の私は、「それもこれもアリ」といった気持ち。
会期中、ちょっと微笑ましく思ったのは、音楽の人たちの自由さです。ゲリラライブがあったり、道で会ったタイミングでセッションの話になったり、どこか他の会場から、また別の歌声が聴こえてきて、あれはどこだ?と。
作品を競い合い、刺激し合う。それだけを求めていた昔の自分は、もっと一途な思いで臨んでいて、それはそれで切ないわけですが、バンドネオンと胡弓の音色を聴きながら、それを懐かしく思い出す、そんな10数年の年月でした。

2016年9月18日日曜日

公募ラッシュ

2学期が始まり、青少年美術展が、秋の公募ラッシュのスタートとなりました。思えば苦節8年・・・おおげさ?まずは、生徒に公募展とはなんぞや、から指導した1年目。2年目で、締め切りまでに作品を仕上げることを指導。3年目で、初めて作品を応募。すべて選外になりましたが、その翌年には、1点入選。そこから、毎年挑戦し続け、8年目で初めての金賞を受賞。青少年美術展は、自分自身、高校時代に3年間挑戦しましたが、すべて入選止まり。今年、初めて生徒が入賞したことで、入賞するのがどういうことなのかが実感できました。年齢制限で25歳までしか挑戦できない公募展ですから、もう私は挑戦できません。入賞した生徒には、一生、誇りに思ってほしいな、と思いました。
さて、次は大人の教室の生徒さんたちが挑戦する砺波市美術展、ねんりん美術展と続きます。その後は、自分が挑戦する公募展もあるし・・・頑張ります。

2016年8月13日土曜日

夜風

夜になると、夜風が涼しくなっていることに気づきます。ああ、秋も近いんだなあ(ついでに、風の盆も近いんだなあ、と思ってしまうあたり、なんですが・・・)。
秋が近づき、創作意欲が増してくるのは、どこか自分の生まれ月とも関係があるような気もするのですが、今年は、そんな気持ちをぐっと抑え、教員免許更新のための課題をしています。時間をみつけながら、PCの前で少しずつ進めていますが、進捗具合はイマイチ。秋に新作に取りかかれるよう、夏の終わりをあと少し頑張ります!

2016年7月20日水曜日

変わらず

1学期の授業が一段落した夜。デザイン作業をしながら、プリントアウトを待つ間。ぼんやりと思うのは、自分は同じことをずっとしているんだなあ、ということ。大学時代からデザインのことを考え、今もこうして、フォントサイズやら字間やらについて調整し、授業ではレイアウトがどうのバランスがどうのと。そして、時間を作ってはキャンバスに向かって筆を持つわけです。ちょっと待てよ、と。気がつけば20年以上も変わらないことをしています。デザイナーの才能があるのかないのかで悩んだ時期も、絵を続けるかやめるかで悩んだ時期も通り過ぎ、結局同じことをしています。そして、まさか美術講師になるとは思っていなかった昔の自分にちょっと伝えられるのなら・・・もう少し、近くにいた美術教師の話を真面目に聞いておいて、と。んー、こういうとき、どうしたらいいんだろう、と思うにつけ・・・時間は戻らないことを実感。
さて、そんなふうにぼんやりと待つ間にプリントアウトも終了。あらためて、フォントサイズの修正をしなくちゃ!

2016年7月7日木曜日

夏のバラ園にて

グループ展「誰の鍵」も無事に終了しました。発表した「夏のバラ園にて」というインスタレーション作品は、久しぶりに文章を中心に。自分にとっての人生の付箋年(?)2006年から10年経ったということも含め、タイトルの「誰の鍵」に絡めてこの作品を書きました。時間軸を設定したかったのと、鍵についての意識の変化を書きました。文中に出てくる「夏のバラ園」は、美しい時間や美しい記憶のメタファーなわけですが、ラストにあるように、おそらく手紙を出して伝えることもなく、いろんなことはその人の中で失われたり気づいたり大切にされたりするような気がします。

夏のバラ園にて 1

私は、最後まであなたの鍵にはなれませんでした。
でも、私にとっては、いつになっても、あなたが鍵になる記憶が、そこかしこにあって。それは、もう、息苦しいくらい、いたる所に溢れていて。
バラのむせかえるような香りに、まぶしい日差し。
歩みを止めて、ひとり空を見上げれば、空はやっぱり目を開けていられないほどの光に満ちていて。ふいに泣き出しそうになるけれど、でも、涙を流すには、あまりにも空は光に溢れているのです。それは、もう、どうしようもなくて。歩き出すしかないな、と。
そう思ったら、ほんの少し涙が出ました。

夏のバラ園にて 2

あなたとバラ園を歩いたあのひとときは、私にとっては、過ぎにし楽園です。今も、目の前のバラと向き合うことができない私は、あの日の、今ここにはないバラばかりが頭から離れなくて。
でも、きっと新しい一歩を踏み出さないといけないのだと思います。
あの日、バラ園で泣いた私の涙のためにも。

夏のバラ園にて 3

あれからいろんなことがありました。
でも、やっぱり変わらないのは、夏のバラ園の記憶。
楽しいひとときも、美しい景色も、ささやかな喜びも、今の私はちゃんと持ち合わせています。それなのに、忘れた頃に、ふと夢にあのバラ園が現れるのです。甘い香りとまぶしい日差し。目を細めてあなたを見つめる私。目覚めた後、夢の余韻に包まれて静かにぼんやりと思い出します。
あれから5年。忘れるには十分な時間のはずなのに。

夏のバラ園にて 4

本当のことを言えば、あなたの鍵になれたとかなれなかったとか、どちらでもいいんです。
10年ぶりに訪れたバラ園は、以前と変わらずに花に溢れています。私の中でも、10年、バラは枯れませんでした。もう、それだけです。それがすべてです。
今も、とりとめのない話をしながらバラ園を一緒に歩きたいのは、あなたしかいない。
10年経って、そのことに気づきました。

夏のバラ園にて 5

と、書いたあなたへの手紙は、出せないまま、今も机の引き出しにあります。
返事が欲しいわけでもないのに、結局、投函する勇気を持てないのが、今の私です。
これからは、毎年、バラの咲く時期には、バラ園を訪れようと思います。一緒に歩けなくても、私は心の中で、飽きることなくあなたに語りかけます。ずっと、最後まで。

もう、鍵は必要ありません。

2016年6月2日木曜日

描きかけの絵

定期考査の試験監督をしているときに、生徒たちが受けている現代文の問題文に、福岡伸一の「ルリボシカミキリの青」がありました。なんとなく私も読み始めながら、つい「まったく、そうだな」と。”好きなことを好きであり続けることは、君を飽きさせず、静かに最後まで励まし続ける”。たしか、こんな言葉でした。
自由な時間もなく、お金もなく、将来が見えなかったとき。そんな私を、当時、静かに励まし続けたのは、一枚の描きかけの絵でした。ままならない日々だけど、この絵の完成を一番楽しみにしているのは自分であり、明日もこの続きを描くんだ、と思うことが支えになりました。現実は、もちろん、その絵がすごい傑作になったというわけではなく、地元の公募展会場の中、たくさんの入選作品の中の一つとして、ひっそりと展示されたのでした。ただ、描くことで慰められ、自己を確認し、励まされた日々。絵を描くことは、私にとってそういうものなのだと思いました。

2016年5月25日水曜日

実習生

今週から、教え子が教育実習生として学校に来ています。美術の実習生ではないわけですが、部活のときには美術部に来て、私と一緒に指導したり体育大会のデコレーションの子たちの様子を見に行ったり。
さて、少し前のことですが、美術の先生として定年を迎えられたある先生が「今、思うのは、高校生を教えることができるって、素晴らしいことだな」と。なんとなく印象に残っている言葉なわけですが、たしかに、こうして教え子が元気に母校で実習をする姿を見ることができるなんて、こんなに嬉しいことはないな、と。今日は、他にも、教え子の卒業制作作品が掲載された冊子を見ることができたり、上機嫌な日でした~。

2016年5月12日木曜日

Fujitsu

連休中のことです。最近、動きがおかしいな・・・と思っていたPCが、突然動かなくなってしまいました。残念ながら、こうして故障は突然にやってくるものです。その日に修理に出したものの、返ってくるまでの間に使うPCが必要ということで、そのまま新しいPCを買いに。買う予定ではなかったこともあり、さて何を買ったらよいものやら・・・結局、またFのPCを買いました。ウチには、ネットにはつなげないものの、XPのF機が2台あり、今もローカルで使うことがあります。 突然、スマホを購入することになったときも、店頭で「すぐに持ち帰れるFをお願いします!」と。
退社してもう10年。でも、やっぱりどんな形であれ応援したい気持ちは変わらず、まあ、こうして死んで(?)いくような気がします。その前に、元気にPCの仕事ができるように!ですね。

2016年4月25日月曜日

新年度

新年度のいろいろも少しずつ落ち着いてきた今日この頃。思い返せば、年度の切り替え時期に、今年は本当に気をもみました・・・。余裕のない仕事の入れ方だったため、何か1つ曜日がずれたりすると、玉突き状態で全部を動かすことになり、すべて落ち着いたのが今月半ばくらいとなりました。まわりにはご迷惑をかけました。
そして、今年初めて挑戦したモダンアート展に入選し、東京都美術館で展示が始まったのが4/1。その日、本当は用事で近くにいたのですが、高校で職員写真撮影があるとの連絡が入り、急遽富山に戻ってきたのでした。残念。ただ、モダンアート展については、その後、恩師の関先生に講評をいただいたり、富山支部展に参加が決まったり、なにかと刺激を受けることになりました。
そんなわけで、ふわふわとした4月も終わりに近付き、そろそろ新作の準備に入らなくちゃ!です。

2016年4月9日土曜日

ポラリス

人生の折々に見て、その度に感想が変わるという点において、私にとって「バグダッド・カフェ」は特別な映画だと、そんなことを綴ったことがあります。最近見ていて思ったのですが、そういった点では、「冬のソナタ」もそうかも・・・。ちょっと最近おかしいのかな、というくらい、再放送を毎晩見ながら涙がとまりません。ハッ、これでは、ヨン様を追いかけるおばさま達と同じでは!まあ、それならそれでいいんです、私も立派な中年ですから。
10年くらい前に見たときに私が思ったのは「美しいことは罪である。魅力のある美女のまわりでは、どうしたってドラマティックな悲劇が起こるのだ」ということ。もう、穏やかではいられないんですよ、魅力的な美人の人生とは。周囲を巻き込みながら嵐が起こるのです。最近見ながら思ったのは、「どの人の言い分もそうだろうな」と。そして、しみじみと「昔、私も同じことを言われた」と思い出してしまいます。
行動することも選択することも自由。自由すぎて、それはやっぱり悲劇を生む一因になりますが、でも、それでも自由っていいな、と思う私は、自由ではないのでしょう。車を持たなかった大学時代、いろんなものがなかったけど、悩みを抱えてひとり夜の街を歩く自由はありました。
さて、いろんな人の思いを巻き込みながら物語は進むわけですが、最後に思ったのは、いろいろ悩んでも答えはずっと変わらなかったんだ、と。やっぱり、ポラリスなんですね。

2016年3月26日土曜日

ものがたりを語るための線

グループ展ではいろいろな話ができましたが、中でも、たがさんと話したことが印象に残っています。「物語を語るための線」。たしかに、私の作品に出てくる線は、線そのものが物語りになっているわけではなく、物語るために構築された線だといえます。物語るためには、ある程度の数が必要になるということも含め、多少、饒舌な画面になるのかもしれません。今回の新作を描くきっかけとなったのは、米澤穂信の小説でしたが、そこから自分なりの不穏な「ミステリー」が紡げたかどうか・・・もう少し、続けて描いていきたいと思います。
ただ、そうはいいつつ、去年から始めた「夏の光」シリーズの”記憶のバラ”作品も、6月には再度、続きをお披露目予定です。このシリーズも、大切にしばらく続けていきたいな、と思っています。

2016年3月22日火曜日

7人展

昨日で、無事に洋画7人展が終了。自分でメンバーを考えながら企画するグループ展とは違った、新鮮な発見や出会いがありました。それにしても、作品の講評会を行うなんて、随分久しぶりの体験かも・・・勉強になります。
それはそうと、ちょうど同じ会期中に、県民会館の上の階では、水彩のグループ展が行われていて、なんとそこには懐かしい人の名前が。以前、絵のモデルをしていた吾妻先生が出品されていて、10年ぶりくらい?の再会を果たしました。先生が崇拝している森本草介を共に悼み、ホキ美術館のこと、お互いが出会ったギャラリーのその後のことなどを話しました。
自分のグループ展でも、「頑張ろう」と思うことが多かった会期でしたが、先生との再会も、やっぱり元気をもらいました。

2016年2月26日金曜日

インスタレーション

打ち合わせを兼ねて友人と会っていました。作家同士ということもあり、最近の現代アートの話をしたり、お互いの作品コンセプトや気持ちのありようについて話したり。言語化することによって再確認することがあり、個人的にも貴重な時間となりました。というのも、ちょうど今、来月のグループ展に向けてまとまった時間を制作に充てていて、ちょっと整理できたところもあるかな、と。
それにしても、インスタレーション作品を見たい、と言われて、久しぶりに意識しました・・・私のインスタレーションというと、たいていは感傷的な内容で、一時期にいたっては、ひたすら「失恋」をテーマに作品を作っていました。無くしたものの大きさに気付き、そこから新たな一歩を踏み出すことを予感させる、という一応「再生」を綴っていますが、まあ、しめっぽい作品ばかりで。今、作ったとしても、やっぱり失恋で作りそうな気がします・・・。

2016年2月19日金曜日

再会

ドラマ「BAR レモン・ハート」の中にこんな言葉が出てきます。「いろいろな出会いの中で、一番いい出会いは”再会”です」と(たしか、こんなニュアンス)。歳をとって「いいな」と思うことは、そういった再会をすることができることではないでしょうか。最近、洋画連盟の総会で再会した高校の恩師はおそらく10年ぶりくらい。去年は、思い出のアートイベントで、13年ぶりくらいに懐かしい人と再会を。昨日は、昔、同じプロジェクトに関わった仲間たちと再会する機会がありました。
お互いに元気な姿を確認し、そしてまた「じゃあね」と別れていくのでしょう。またいつか訪れる再会を待つともなしに待ち。それまで、私なりに、元気に頑張りたいものです。

2016年2月8日月曜日

10年目

去年の終わりの頃でした。ある日の打ち合わせで「急ぎ案件」が決まり、そこから仕事漬けの年末年始となりました。大晦日の掃除をやめ、お雑煮も食べずに元日も働いていたこともあり、私の中では2015年が続いているような感覚。が、ここにきて、いわゆる「年度末」の切り替えが少しずつ入ってきて、なんとなく気持ち的に2015年も終わりそうです。
その都度、「ああ、大変なことになった」と思うのですが、そんなときは「今まで辛かった仕事ランキング」を思い出し、そのときよりもは大丈夫・・・と思って頑張ります(これって、後ろ向きな発想?)。でも、同時に思うのです。こうやって困難があるからこそ、無事に終わったときの喜びもあるし、締め切りのない日にぼーっとテレビを見ている幸せがあるんだなあ、と。そうしてしばらくしているうちに「おっと、こうしてテレビを見ていても1円稼げるわけでなし、仕事のことを考えよう」と思ってしまうところが貧乏性ですが。
フリーのデザイナーになって今年で10年目になります。あれこれジタバタしつつ、やっぱり働くことが好きなのかなあ、と思う、そんな節目の10年です。

春に新作を

今年のモダンアート展が終わりました。 さて、この団体展。大学、大学院とお世話になった教授の所属ということで、自分もいずれ所属するなら、という理由でスタートしました。ところが、出品して2年で気づいてしまいました・・自分の作品は、モダンアート展に「はまっていない」ことに。勝手に落ち...