1学期の授業が一段落した夜。デザイン作業をしながら、プリントアウトを待つ間。ぼんやりと思うのは、自分は同じことをずっとしているんだなあ、ということ。大学時代からデザインのことを考え、今もこうして、フォントサイズやら字間やらについて調整し、授業ではレイアウトがどうのバランスがどうのと。そして、時間を作ってはキャンバスに向かって筆を持つわけです。ちょっと待てよ、と。気がつけば20年以上も変わらないことをしています。デザイナーの才能があるのかないのかで悩んだ時期も、絵を続けるかやめるかで悩んだ時期も通り過ぎ、結局同じことをしています。そして、まさか美術講師になるとは思っていなかった昔の自分にちょっと伝えられるのなら・・・もう少し、近くにいた美術教師の話を真面目に聞いておいて、と。んー、こういうとき、どうしたらいいんだろう、と思うにつけ・・・時間は戻らないことを実感。
さて、そんなふうにぼんやりと待つ間にプリントアウトも終了。あらためて、フォントサイズの修正をしなくちゃ!
2016年7月20日水曜日
2016年7月7日木曜日
夏のバラ園にて
グループ展「誰の鍵」も無事に終了しました。発表した「夏のバラ園にて」というインスタレーション作品は、久しぶりに文章を中心に。自分にとっての人生の付箋年(?)2006年から10年経ったということも含め、タイトルの「誰の鍵」に絡めてこの作品を書きました。時間軸を設定したかったのと、鍵についての意識の変化を書きました。文中に出てくる「夏のバラ園」は、美しい時間や美しい記憶のメタファーなわけですが、ラストにあるように、おそらく手紙を出して伝えることもなく、いろんなことはその人の中で失われたり気づいたり大切にされたりするような気がします。
夏のバラ園にて 1
私は、最後まであなたの鍵にはなれませんでした。
でも、私にとっては、いつになっても、あなたが鍵になる記憶が、そこかしこにあって。それは、もう、息苦しいくらい、いたる所に溢れていて。
バラのむせかえるような香りに、まぶしい日差し。
歩みを止めて、ひとり空を見上げれば、空はやっぱり目を開けていられないほどの光に満ちていて。ふいに泣き出しそうになるけれど、でも、涙を流すには、あまりにも空は光に溢れているのです。それは、もう、どうしようもなくて。歩き出すしかないな、と。
そう思ったら、ほんの少し涙が出ました。
夏のバラ園にて 2
あなたとバラ園を歩いたあのひとときは、私にとっては、過ぎにし楽園です。今も、目の前のバラと向き合うことができない私は、あの日の、今ここにはないバラばかりが頭から離れなくて。
でも、きっと新しい一歩を踏み出さないといけないのだと思います。
あの日、バラ園で泣いた私の涙のためにも。
夏のバラ園にて 3
あれからいろんなことがありました。
でも、やっぱり変わらないのは、夏のバラ園の記憶。
楽しいひとときも、美しい景色も、ささやかな喜びも、今の私はちゃんと持ち合わせています。それなのに、忘れた頃に、ふと夢にあのバラ園が現れるのです。甘い香りとまぶしい日差し。目を細めてあなたを見つめる私。目覚めた後、夢の余韻に包まれて静かにぼんやりと思い出します。
あれから5年。忘れるには十分な時間のはずなのに。
夏のバラ園にて 4
本当のことを言えば、あなたの鍵になれたとかなれなかったとか、どちらでもいいんです。
10年ぶりに訪れたバラ園は、以前と変わらずに花に溢れています。私の中でも、10年、バラは枯れませんでした。もう、それだけです。それがすべてです。
今も、とりとめのない話をしながらバラ園を一緒に歩きたいのは、あなたしかいない。
10年経って、そのことに気づきました。
夏のバラ園にて 5
と、書いたあなたへの手紙は、出せないまま、今も机の引き出しにあります。
返事が欲しいわけでもないのに、結局、投函する勇気を持てないのが、今の私です。
これからは、毎年、バラの咲く時期には、バラ園を訪れようと思います。一緒に歩けなくても、私は心の中で、飽きることなくあなたに語りかけます。ずっと、最後まで。
もう、鍵は必要ありません。
夏のバラ園にて 1
私は、最後まであなたの鍵にはなれませんでした。
でも、私にとっては、いつになっても、あなたが鍵になる記憶が、そこかしこにあって。それは、もう、息苦しいくらい、いたる所に溢れていて。
バラのむせかえるような香りに、まぶしい日差し。
歩みを止めて、ひとり空を見上げれば、空はやっぱり目を開けていられないほどの光に満ちていて。ふいに泣き出しそうになるけれど、でも、涙を流すには、あまりにも空は光に溢れているのです。それは、もう、どうしようもなくて。歩き出すしかないな、と。
そう思ったら、ほんの少し涙が出ました。
夏のバラ園にて 2
あなたとバラ園を歩いたあのひとときは、私にとっては、過ぎにし楽園です。今も、目の前のバラと向き合うことができない私は、あの日の、今ここにはないバラばかりが頭から離れなくて。
でも、きっと新しい一歩を踏み出さないといけないのだと思います。
あの日、バラ園で泣いた私の涙のためにも。
夏のバラ園にて 3
あれからいろんなことがありました。
でも、やっぱり変わらないのは、夏のバラ園の記憶。
楽しいひとときも、美しい景色も、ささやかな喜びも、今の私はちゃんと持ち合わせています。それなのに、忘れた頃に、ふと夢にあのバラ園が現れるのです。甘い香りとまぶしい日差し。目を細めてあなたを見つめる私。目覚めた後、夢の余韻に包まれて静かにぼんやりと思い出します。
あれから5年。忘れるには十分な時間のはずなのに。
夏のバラ園にて 4
本当のことを言えば、あなたの鍵になれたとかなれなかったとか、どちらでもいいんです。
10年ぶりに訪れたバラ園は、以前と変わらずに花に溢れています。私の中でも、10年、バラは枯れませんでした。もう、それだけです。それがすべてです。
今も、とりとめのない話をしながらバラ園を一緒に歩きたいのは、あなたしかいない。
10年経って、そのことに気づきました。
夏のバラ園にて 5
と、書いたあなたへの手紙は、出せないまま、今も机の引き出しにあります。
返事が欲しいわけでもないのに、結局、投函する勇気を持てないのが、今の私です。
これからは、毎年、バラの咲く時期には、バラ園を訪れようと思います。一緒に歩けなくても、私は心の中で、飽きることなくあなたに語りかけます。ずっと、最後まで。
もう、鍵は必要ありません。
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