2016年7月7日木曜日

夏のバラ園にて

グループ展「誰の鍵」も無事に終了しました。発表した「夏のバラ園にて」というインスタレーション作品は、久しぶりに文章を中心に。自分にとっての人生の付箋年(?)2006年から10年経ったということも含め、タイトルの「誰の鍵」に絡めてこの作品を書きました。時間軸を設定したかったのと、鍵についての意識の変化を書きました。文中に出てくる「夏のバラ園」は、美しい時間や美しい記憶のメタファーなわけですが、ラストにあるように、おそらく手紙を出して伝えることもなく、いろんなことはその人の中で失われたり気づいたり大切にされたりするような気がします。

夏のバラ園にて 1

私は、最後まであなたの鍵にはなれませんでした。
でも、私にとっては、いつになっても、あなたが鍵になる記憶が、そこかしこにあって。それは、もう、息苦しいくらい、いたる所に溢れていて。
バラのむせかえるような香りに、まぶしい日差し。
歩みを止めて、ひとり空を見上げれば、空はやっぱり目を開けていられないほどの光に満ちていて。ふいに泣き出しそうになるけれど、でも、涙を流すには、あまりにも空は光に溢れているのです。それは、もう、どうしようもなくて。歩き出すしかないな、と。
そう思ったら、ほんの少し涙が出ました。

夏のバラ園にて 2

あなたとバラ園を歩いたあのひとときは、私にとっては、過ぎにし楽園です。今も、目の前のバラと向き合うことができない私は、あの日の、今ここにはないバラばかりが頭から離れなくて。
でも、きっと新しい一歩を踏み出さないといけないのだと思います。
あの日、バラ園で泣いた私の涙のためにも。

夏のバラ園にて 3

あれからいろんなことがありました。
でも、やっぱり変わらないのは、夏のバラ園の記憶。
楽しいひとときも、美しい景色も、ささやかな喜びも、今の私はちゃんと持ち合わせています。それなのに、忘れた頃に、ふと夢にあのバラ園が現れるのです。甘い香りとまぶしい日差し。目を細めてあなたを見つめる私。目覚めた後、夢の余韻に包まれて静かにぼんやりと思い出します。
あれから5年。忘れるには十分な時間のはずなのに。

夏のバラ園にて 4

本当のことを言えば、あなたの鍵になれたとかなれなかったとか、どちらでもいいんです。
10年ぶりに訪れたバラ園は、以前と変わらずに花に溢れています。私の中でも、10年、バラは枯れませんでした。もう、それだけです。それがすべてです。
今も、とりとめのない話をしながらバラ園を一緒に歩きたいのは、あなたしかいない。
10年経って、そのことに気づきました。

夏のバラ園にて 5

と、書いたあなたへの手紙は、出せないまま、今も机の引き出しにあります。
返事が欲しいわけでもないのに、結局、投函する勇気を持てないのが、今の私です。
これからは、毎年、バラの咲く時期には、バラ園を訪れようと思います。一緒に歩けなくても、私は心の中で、飽きることなくあなたに語りかけます。ずっと、最後まで。

もう、鍵は必要ありません。

2016年6月2日木曜日

描きかけの絵

定期考査の試験監督をしているときに、生徒たちが受けている現代文の問題文に、福岡伸一の「ルリボシカミキリの青」がありました。なんとなく私も読み始めながら、つい「まったく、そうだな」と。”好きなことを好きであり続けることは、君を飽きさせず、静かに最後まで励まし続ける”。たしか、こんな言葉でした。
自由な時間もなく、お金もなく、将来が見えなかったとき。そんな私を、当時、静かに励まし続けたのは、一枚の描きかけの絵でした。ままならない日々だけど、この絵の完成を一番楽しみにしているのは自分であり、明日もこの続きを描くんだ、と思うことが支えになりました。現実は、もちろん、その絵がすごい傑作になったというわけではなく、地元の公募展会場の中、たくさんの入選作品の中の一つとして、ひっそりと展示されたのでした。ただ、描くことで慰められ、自己を確認し、励まされた日々。絵を描くことは、私にとってそういうものなのだと思いました。

2016年5月25日水曜日

実習生

今週から、教え子が教育実習生として学校に来ています。美術の実習生ではないわけですが、部活のときには美術部に来て、私と一緒に指導したり体育大会のデコレーションの子たちの様子を見に行ったり。
さて、少し前のことですが、美術の先生として定年を迎えられたある先生が「今、思うのは、高校生を教えることができるって、素晴らしいことだな」と。なんとなく印象に残っている言葉なわけですが、たしかに、こうして教え子が元気に母校で実習をする姿を見ることができるなんて、こんなに嬉しいことはないな、と。今日は、他にも、教え子の卒業制作作品が掲載された冊子を見ることができたり、上機嫌な日でした~。

2016年5月12日木曜日

Fujitsu

連休中のことです。最近、動きがおかしいな・・・と思っていたPCが、突然動かなくなってしまいました。残念ながら、こうして故障は突然にやってくるものです。その日に修理に出したものの、返ってくるまでの間に使うPCが必要ということで、そのまま新しいPCを買いに。買う予定ではなかったこともあり、さて何を買ったらよいものやら・・・結局、またFのPCを買いました。ウチには、ネットにはつなげないものの、XPのF機が2台あり、今もローカルで使うことがあります。 突然、スマホを購入することになったときも、店頭で「すぐに持ち帰れるFをお願いします!」と。
退社してもう10年。でも、やっぱりどんな形であれ応援したい気持ちは変わらず、まあ、こうして死んで(?)いくような気がします。その前に、元気にPCの仕事ができるように!ですね。

2016年4月25日月曜日

新年度

新年度のいろいろも少しずつ落ち着いてきた今日この頃。思い返せば、年度の切り替え時期に、今年は本当に気をもみました・・・。余裕のない仕事の入れ方だったため、何か1つ曜日がずれたりすると、玉突き状態で全部を動かすことになり、すべて落ち着いたのが今月半ばくらいとなりました。まわりにはご迷惑をかけました。
そして、今年初めて挑戦したモダンアート展に入選し、東京都美術館で展示が始まったのが4/1。その日、本当は用事で近くにいたのですが、高校で職員写真撮影があるとの連絡が入り、急遽富山に戻ってきたのでした。残念。ただ、モダンアート展については、その後、恩師の関先生に講評をいただいたり、富山支部展に参加が決まったり、なにかと刺激を受けることになりました。
そんなわけで、ふわふわとした4月も終わりに近付き、そろそろ新作の準備に入らなくちゃ!です。

2016年4月9日土曜日

ポラリス

人生の折々に見て、その度に感想が変わるという点において、私にとって「バグダッド・カフェ」は特別な映画だと、そんなことを綴ったことがあります。最近見ていて思ったのですが、そういった点では、「冬のソナタ」もそうかも・・・。ちょっと最近おかしいのかな、というくらい、再放送を毎晩見ながら涙がとまりません。ハッ、これでは、ヨン様を追いかけるおばさま達と同じでは!まあ、それならそれでいいんです、私も立派な中年ですから。
10年くらい前に見たときに私が思ったのは「美しいことは罪である。魅力のある美女のまわりでは、どうしたってドラマティックな悲劇が起こるのだ」ということ。もう、穏やかではいられないんですよ、魅力的な美人の人生とは。周囲を巻き込みながら嵐が起こるのです。最近見ながら思ったのは、「どの人の言い分もそうだろうな」と。そして、しみじみと「昔、私も同じことを言われた」と思い出してしまいます。
行動することも選択することも自由。自由すぎて、それはやっぱり悲劇を生む一因になりますが、でも、それでも自由っていいな、と思う私は、自由ではないのでしょう。車を持たなかった大学時代、いろんなものがなかったけど、悩みを抱えてひとり夜の街を歩く自由はありました。
さて、いろんな人の思いを巻き込みながら物語は進むわけですが、最後に思ったのは、いろいろ悩んでも答えはずっと変わらなかったんだ、と。やっぱり、ポラリスなんですね。

2016年3月26日土曜日

ものがたりを語るための線

グループ展ではいろいろな話ができましたが、中でも、たがさんと話したことが印象に残っています。「物語を語るための線」。たしかに、私の作品に出てくる線は、線そのものが物語りになっているわけではなく、物語るために構築された線だといえます。物語るためには、ある程度の数が必要になるということも含め、多少、饒舌な画面になるのかもしれません。今回の新作を描くきっかけとなったのは、米澤穂信の小説でしたが、そこから自分なりの不穏な「ミステリー」が紡げたかどうか・・・もう少し、続けて描いていきたいと思います。
ただ、そうはいいつつ、去年から始めた「夏の光」シリーズの”記憶のバラ”作品も、6月には再度、続きをお披露目予定です。このシリーズも、大切にしばらく続けていきたいな、と思っています。

1学期

そうですよね、気が付けば2025年も、もう半分を越え。ずっと、なにかに追われるような毎日だったような、そうでもないような。ようやく、今週で3つの学校の点票を出し終え、なんとか1学期を終われそうなところまできました。ほっ。来週はモダンアート展が始まります。さすがに、準備をしなくては...